瀬戸内寂聴法話より

 
   往生とは何か。往生とは死ぬ事と私達は思いますね。けれども字を見てください。往生っていうのは、往きて生まれるってことなんですよ。あの世に往って生まれ変わるということ、つまり、永遠の生命を得るということなの。仏教では、死んでなくなるとは考えないのね。永遠の生命を得るという風に解釈いたします。

 誰かを好きになって、その人がこっちを向いてくれなくて、苦しくて苦しくてしょうがない。その人消せば一番いいの。だから時々殺すってあるでしょ。でもそうすれば、自分が監獄へ行かなきゃならない。だから、その人を消さないで、その人を好きな、自分の心を消せば言いわけね。つまり、お釈迦様はそういう煩悩の元を断て、そうしたら、四苦八苦がなくなりますよ、という事を教えてくれたの。

 陰気なことを考えないでね。陰気な事を考えたら顔も陰気になります。陰気な顔をしていると、陰気な人が寄ってくる。不幸が寄ってきやすいの。だから、ニコニコ明るくしていると不幸が寄ってこらねない。貧乏神が寄ってこられないんです。災いが災いを招くのです。

 お寺というのは、お葬式をするところ、法事をするところ、たまに結婚式をするところ、という風に思ってらっしゃるとおもうの。でも、そうじゃないんですよ。お寺の根本は、同じ志を持った人が、そこで修行をする場所なんですよ。

 一期一会という言葉があります。お茶の方で、今会ったのが最後と思って最高のもてなしをしましょうということです。これはお茶の世界だけでなく、我々も今日会えたけど、あすはわからないと、思ってくださいね。覚悟して、死を受け入れ、死と共存することです。死とともに生きることです。その覚悟を決めてください。そうすると気が楽になります。死んだら、じゃあどうなるか。そんなことわからない。誰も知らないんですよ。先のことをくよくよ思い煩うことないんです。もう任せておけばいいんです。

 生まれによってその人の身分が決まるのは間違い。その人が、どういう風に生きたか、ひとにやさしく生きたか、その生き方によってその人の値打ちが決まるという教え、それが仏教です。

 人間は、死ぬってことを覚悟していないとだめですね。死ぬまで戦いですから、自分で自分を管理して、身体の病は心からきますから、神経をじぶんで守らないと、駄目ですよ。私達は、いつ病気になるかわからない、病気になったら共死にするか、戦うか、気力次第です。私達は死ぬために生きているんですから、いつかは死にます。それを覚悟しといてね。死ぬから,あのひとに貸したものを取り返そうと思わないで、死んだからあれもあげよう、これもあげよう、と、みなあげなさい。そうするとまた、命が延びますよ。

 仏教には輪廻転生という思想がありますが、クシナガラで死んだお釈迦様が生きがえったってことないんです。お釈迦様も我々と同じ人間だ。同じように悩みを持ち,苦しみ,病気にもなり、老いて死んでいった。そういう人なんです。私達がとしをとって病気になっても、お釈迦様だってそうだったと思えば、いくらか慰められるでしょう。

 巡礼してなにがいいか。つまり、非日常の世界に入るわけなんです。非日常の生活っていうことは、浄土かもしれないし、あの世かもしれない。そういうなかを、ずうっと歩いていると、心が洗われます。巡礼っていうのは、自分の日ごろおもっていることが、全部忘れられる場所なんですね。皆さん、家で贅沢している人でも、贅沢できない。そういうことが、またいいんだと思うんです。

 なんか不幸があると、世の中どうして自分だけが不幸になるんだ、理不尽な目に遭うんだと、おもいますが、そうじゃないんですよ。必ず自分と同じようなおもいをしている人が,世の中にいっぱいいるんですよ。悲しみの数、苦しみの数がいくつあるか知りませんけど、分けてみると自分の悲しみも,どこかに属するんですよ。苦しみや悲しみがその時には、一生続くような、気がしますけど、絶対続かないの。天気を見てもわかるように、物事はすべて移り変わって行く。これを無常と申します。これが仏教の根本思想なんです。

 私達は、なにかをするために生きているんです。自分以外の人のためになるために、生きているんだとおもいます。自分が存在することによって、誰かが楽しくなる、幸せになる、悲しみを慰められる、そのために生きているんだと思います。

 自分ひとりでこの世に生まれてきたわけでは、ないんです。今日まで育ててくれた人達に感謝せねばなりません。自分を支えてくれた友人に感謝する。お墓参りに行くのもいい。けれども本当にしなければならないのは、自分が今日あることを感謝し、自分を生かしてくれたすべての人、すべての環境に対して感謝する。そういう事を考えて、謙虚になることが、大事なのです。

 愛するってことは思いやること。相手が自分になにをしてほしいかと、考えること。そうすれば、人間関係はうまく行くんです。自分が好きなものは、相手も好きかというとそうじゃない。育ちも教養もすべてがちがうんですから、好みも違う。それがわかって多くを期待しなければ、うまく行くんです。相手が何を思っているか考える事が愛。間違いの多くは、じぶんがしたいことを、相手に押し付けていること。それを愛していると思っていることです。

 和顔施という言葉があります。にこやかな顔をする。人はそれだけで、嬉しくなるんです。なんかしてあげなくともいい。その人がそこに存在するだけで、ひとに和やかな気持ちを与え、ほっとさせる、そういうことでいいんです。それが幸せってこと。

 自分の中には死ぬまで可能性があります。性格を変えることが出来なくとも、視点を変えることが出来ます。例えば、姑が大嫌いと思っても、この人は私の大好きな亭主を産んでくれ、育ててくれたんだ。この人がいなければ、私は亭主に会わなかったと思えば、感謝の気持ちが起こると思うんです。視点を変えると、見方が変わってきますから、自分が明るくなるように視点を変えることです。

 
     

motomu60@tf6.so-net.ne.jp Motomu Furugaito

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