大阪学

前垣 和義 著(抜粋)

 
  阪道頓堀 くいだおれの前に立っている人形,名前を太郎君という。
姓はくいだおれ、名は太郎 よってくいだおれ太郎といいます。
心斎橋、宇冶園の看板娘をおかめちゃんという。
あるとき、この二人がお見合いをしたが、まとまりませんでした。
それ故、いまだに店の前で愛嬌を振りまいております。

阪弁は丁寧でやさしい。
いなりずしを、おいなりさん 豆を、お豆さん 、朝 の挨拶もおはようさん といろんな言葉に「さん」をつける。
神様にまで、「さん」をつける。
住吉さん 天神さん 戎っさん 太閤さんと 数えあげればきりが無い。
 東京は こうはいかない。
家康さん、明治神宮さんなどとは言わない。
やはり 大阪弁特有のやわらかさであろう。

阪では「うなぎご飯」のことを まむし という。
これは、蒲焼を切ってご飯にまぶすからだと言われている。
大阪では、腹を割いて開き、 東京では、背中を割く。
東京では白焼きにし、蒸し器で蒸す。大阪は焼いたあと たれをかける。
 江戸は、武士の町で、切腹を嫌がったからだろうか。
関西と関東では このように違う。

阪では、肉といえば、牛肉を指す。
豚は、豚肉 鶏は かしわと呼ぶ。
東京では、肉というと 豚肉を指す。
「カツ」も大阪は、ビフカツであり 東京はとんかつである。
大阪人が東京にいくと 戸惑う人もいる。

阪 梅田の地下街に 「阪神ふるさと名産」といって約200メートルの間に各県の名産を売っている。
間口2.5メートル奥行き42センチから1メートルの小さい店が並んでいる。
旅行で家へのお土産の買い忘れや、ふるさとを、懐かしんで買う人達で賑わった。
また 別名「アリバイ横丁」ともいわれ、主張と称して出張せず内緒で浮気した人がアリバイ工作用に買う輩もいる。これも 大阪人の発想からでのもの。

阪市港区八幡屋公園にある天保山、4.5メートルの山で日本一低い山である。
天保山と呼ばれるようになったのは、明治4年。その一体が天保町となったことから、俗称された。

に道楽」 のかには現在三代目。
左右7メートルが1メートル延びて8メートルになった。
重さは100キロ全国のかにの中でもっとも大きい。
くいだおれ人形, グリコの看板、と このかに、大阪らしさを残す 「最後の砦」でなかろうか。

天閣はグリコより大きい広告塔である。
昭和30年代,大阪で高い建物は,大阪城と通天閣ぐらいしか,無かった。
最初のスポンサーはライオン歯磨きで昭和16年まで続いた。
再建は31年で、日立がスポンサーになった。
いまは、新世界の開発がすすみ、平成9年「フェスティバルゲート」が誕生し,大阪の名物となりつつある。

阪人は,魚の好みで言えば、白身が好きであり、特に 鯛を 珍重する。
東京人はマグロを中心にして 食してきた。
西の鯛は 白身  東のマグロは赤身である。
西の太刀魚    東の秋刀魚
西のブリ   と東の鮭 
いずれも白と赤に分かれている。
かつおは、大阪では,江戸時代には、食さなかった。
その代わり,はもが好まれた。見事に紅白に分かれている。

煮は各地で,それぞれ違いがある。
まず餅であるが,関西は、丸餅を用い,焼かずに煮て食べる。
関東では,切り餅で焼いた餅を椀に入れる。
関西は白味噌で,関東はすまし仕立てである。
どうも食生活では,関東と関西に分かれる境界線は静岡から三重県あたりではなかろうか。

阪城の桜門付近に,巨石がある。
最も大きいのが「蛸石」で畳36畳分ある。
このような,大きい石が11以上ある。
どのようにして,このような大きな石を運んだのか。
岡山の池田藩が力の誇示をしたようだ。
このような大きない石を運べるわけがない。
実は「蛸石」は70センチほどにスライスされている。
石の後ろには石垣が積んでいる。
それにしても,その技術は,すばらしいものである。

阪城の天守閣正面に,タイムカプセルが、埋められている。
そのひとつの蓋が,2000年に開かれる。
埋められたのは,昭和45年,万博の記念に埋められた。
地下15メートルに2個埋められている。
松下電器が協力した。
レコード,おもちゃ,電化製品、お金,本,あらゆる物がいれられている。
2000年3月15日に開封される。
以後,100年ごととなる。

子園球場は1924年に竣工された。
甲子園名物の蔦もその時植えられた。
外野15メートル、内野14.4メートルの壁いっぱいに張り巡らされている。
2種類で、冬蔦と夏蔦である。436株植わっている。
丈夫なので枯れないし,年1〜2回のカットでいい。
今度行かれたときは、ゆっくり眺めてみては。

うして,大阪人は左を歩くのか。
関西人はエスカレーターに乗ると,右側に立ち、左側を空ける。
東京の人は右側を開ける。
これは,昭和40年代地下鉄御堂筋線で始まった左側通行がいまだに、つづいていると,思われる。
ロンドンやパリも 左側を空ける。
お互い,歴史や文化の精神が 似ているのだろうか。

魚列車」といわれる電車がある。
大阪と,伊勢,名古屋を結ぶ,近鉄大阪線の鶴橋駅に毎朝到着する。
朝6時11分に宇治山田駅を出発し8時59分につく。
一日2便,帰りは夕方5時14分である。
車の時代になっても,長距離輸送であるため速く,それでいて,安くつくためである。
乗客は 一人も乗っていない。

 
     

motomu60@tf6.so-net.ne.jp Motomu Furugaito

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